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大阪地方裁判所 昭和54年(ワ)1948号 判決 1981年8月27日

原告

尾川理絵子

右法定代理人親権者母

尾川由利子

原告

尾川由利子

原告

前田良夫

右三名訴訟代理人

大音師建三

被告

西田恵吉

右訴訟代理人

小林淑人

主文

一  被告は原告尾川理絵子に対し、金一〇二万円及び同金員につき昭和五四年四月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告前田良太及び同尾川由利に対し、各金二五万円及び同金員につき昭和五四年四月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え

三  原告三名のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第一項の関係で金二〇万円、第二項の各関係原告につき各金五万円の各担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

第一  申立

一  原告ら

(一)  被告は原告理絵子に対し、金二四三万四五四九円及び内金二一六万四五四九円につき本件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告は原告良太及び同由利子に対し、各金六〇万円及び各内金五〇万円につき本件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

(四)  右(一)、(二)項につき仮執行宣言

二  被告

(一)  原告らの各請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  主張

一  請求原因

(一)  原告理絵子は、昭和五三年六月一日、原告良太と同由利子間の長女として出生した。なお、原告良太と同由利子は、その後、離婚し、原告理絵子の親権者を原告由利子と定めた。

(二)  被告は、肩書地において、外科、内科、胃腸科、小児科及び皮膚科を診療科目として掲げ、西田医院を開設する医師である。<以下、事実省略>

理由

一<証拠>によると、請求原因(一)の原告らの身分関係の事実を認めることができ(但し、原告由利子が同理絵子の母であることは当事者間に争いがない)、請求原因(二)の被告が小児科などを診療科目として掲げ、西田医院を開設する医師であることは、当事者間に争いがない。

二原告理絵子が、昭和五三年一〇月一八日午後五時頃被告医院に行き、被告の診察を受けたこと、被告は、原告由利子から同理絵子の症状について訴を受け、「感冒、急性扁桃炎、急性消化不良症」と診断し、二、三日様子をみようと述べたこと、原告理絵子が翌一九日に吹田市民病院へ入院し、腸重積症により開腹手術を受け、回腸の一部を切除したこと、そして、一一月二日に右病院を退院したこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

原告らは、被告が右の診察に当り原告理絵子の症状が腸重積症であることを看過した過失により、手術及びそれに引き続く深刻な事態を招来したと主張するから、この主張に即して検討する。

(一)  <証拠>を総合すると、生後三か月余の原告理絵子が風邪を引いたため、昭和五三年一〇月一二日前後頃、かかりつけの坪倉医院で診察を受け、二日分の投薬を得て服用させたこと、しかし同原告の症状は次第に悪化し、授乳をしても嘔吐を繰り返すようになり、殊に同月一七日深夜から翌一八日の明方にかけてその傾向がひどくなり、ぐづついていたうえ、午前五時頃原告由利子が完腸をしたところ、便に薄い点状の血液が混つていたこと、そこで、原告由利子は、一八日早速、坪倉医院へ原告理絵子を伴い、診察を受ける積りにしていたところ、当日同医院は休診していたこと、しかし、その休診が判つたのは、正午頃であつたこと、やむなく原告由利子は、他から教えられるまま、午後五時から診療を始めるという被告医院の診療開始時間を待ち、原告理絵子を伴つて赴いたこと、原告由利子は、被告の問診に対して原告理絵子の病気が風邪であること、少し熱があること、時期はともかく下痢をしたことがあること、授乳をしても嘔吐すること、便に血液が混つていたこと、ぐずり泣をすることなどの説明をしたほか、被告に対する遠慮から坪倉医院にかかつていた事実を伏せ、売薬を服用させていたと嘘偽の説明を加えたこと、これらの説明を踏まえて、被告は原告理絵子の診察をしたところ、腹部は平垣であつたこと、そして、便に血液が混つていたという点については、消化不良により生じていると暫定的な判断をしたこと、かくて被告は、前叙の如く診断及び指示をし、マイシン、咳止めのメジコンS、抗ヒスタミン剤、制吐剤、下熱剤及び下痢止め剤を投薬したこと、以上の事実を認めることができ、この認定に反する原告由利子本人の供述部分は措信できず、他に右認定に反する証拠はない。

右認定事実及び被告本人尋問の結果によると、被告は原告理絵子の診察に当り、腸重積症を自覚的に念頭に置いていなかつたことが明らかである。

(二)  ところが、<証拠>を総合すると、原告由利子は、被告医院から帰宅して、早速原告理絵子に薬を服用させたものの、間もなく吐き出したこと、その後、何回となく試みても、同じ繰り返しであつたこと、そこで、翌一九日原告由利子らは同理絵子を吹田市民病院に連れて行き、まず小児科で診察を受けたところ、腸重積症と診断され、手術の要否を決するため外科へ廻されたこと、外科では門田医師が担当し、午後一時前頃原告理絵子を診察したところ、頻繁に嘔吐を繰り返すうえ、小児科で行つた浣腸の名残りで新鮮な血便が多量に肛門から流れ出る状態であつたため、腸重積症に間違いなく、手術以外の手当の方法がないとして、手術用の麻酔をかけたこと、しかし、原告理絵子の腹部の膨満により腫瘤が触診できなかつたため、門田医師は、念のため注腸透視を行つたこと、当時、原告理絵子は、嘔吐の繰り返しで脱水状態にあり、開腹手術が非常に危険を伴うことが予測され、助かる可能性は一〇パーセント前後と説明されたこと、午後二時二五分手術にかかり、開腹してみると、太さが同じため血管の圧迫が強度で壊死の生じ易い回腸に回腸が嵌入し、同部分が更に大腸に嵌入するという二重の重積を生じていたこと、大腸に嵌入していた部分は圧迫により元の状態に復したが、小腸の重積部分の壊死が生じていて切除を要したこと、以上の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

(三)  問題は、まず、被告が原告理絵子を診察した際に、腸重積は進行していたのか否か、次に進行していたとして、被告に平均的な医師としての注意義務違反があつたか、否かについて、順次検討する。

(1)  <証拠>及び鑑定人岡田正の鑑定結果を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 腸重積症というのは、腸管殊に回盲部の一部が腸間膜とともに、隣接腸管内に嵌入して生ずる疾病であるが、さきに認定した原告理絵子の場合のように、回腸末端部がそのまま結腸内に更に嵌入するという二重の重積(五筒性重積)の生ずる頻度も、それほど低率ではない。

(ロ) この疾病は、内筒と外筒との間に腸間膜が引き込まれるため、静脈が圧迫されて血流障害などが生じ、発病後の経過時間が長引くにつれて嵌入腸管が腫脹し、整復が困難になるだけでなく、細血管が破れて出血が生じ、或いは腸粘膜に病変が起り血便となつて現われる。次いで嵌入腸管の壊死を招く。この壊死が生ずると、整復の際にこの部分に穿孔の危険が出て来るため、保存的方法による治療が困難となり、手術の方法によらざるを得なくなる。更に、腸閉塞状態が出現すると、腹部の膨満を生ずる。この最後の段階は、発症後、相当の時間が経過している症例と一般に観念されている。

(ハ) この疾病の好発年令の把握については、論者により多少の差がみられるけれども、原告理絵子はその年令期に該当する。しかも、この疾病は、稀な疾患ではない。

(ニ) この疾病につき説かれている定型的な臨床経過を辿ると、おおよそ次のとおりである。

この疾病は、上気道感染や感冒様症状に引き続いて起ることがあり、従つてこの点も本症の診断上留意されなければならない。

ところで、主要症状は、発作性腹痛、嘔吐及び血便であるが、これらの症状が常に相い伴うというのではない。まず、初発症状として最も多いのは、突然に起る不気嫌及び腹痛であり、時に患児は顔面蒼白となり、ぐつたりする。この腹痛は、間歇的に起ることが多い。このような間歇的腹痛及び不気嫌は、本症を疑わせる重要な症状といわれている。この腹痛と同時または暫くして嘔吐が始まる。この嘔吐は以後持続し、経口摂取が不可能になる。発病初期には正常便の排出もあるが、やがて(発病二ないし一〇時間後)粘血便の排出がみられる。そして、時間の経過とともに血便の出現頻度が高くなり、本症の九〇パーセント以上に証明される。従つて、血便の診断的意義は大きい。以上のほか、腹部腫瘤も重要な症状として挙げられており、その触知により診断が確定的になされうるとされている。もつとも、腫瘤に触れないからといつて、直ちに本症が否定されることにはならない。

(ホ) そして、本症の治療として、保存的なそれと手術があり、発症後早期の症状ではほぼ九〇パーセントが保存的治療のみによつて改善されるが、比較的急激な経過を辿り、放置されると予後が不良であるため、早期の診断と治療が要請される。なお、この疾病では、仮に早期に診断できても手術以外の治療を施しえない症状も想定されるのであるが、だからといつて早期診断と治療が不必要ということにならないことは、いうまでもないところである。

(2)  そこで、前項で認定した腸重積症の臨床経過に則しながら、さきに認定した原告理絵子の症状・経過に、<証拠>を総合すると、原告理絵子の腸重積症は、すくなくとも被告が診察する以前に発症し、その診察当時、進行していたと推認するのが相当であり、鑑定人岡田正の鑑定結果もこの推認と抵触するものではない。また同鑑定結果によると、初期の重積が軽度の場合には、重積と解除を繰返すこともあるもののようであるが、これは可能性の問題であつて、当然に原告理絵子の本症に妥当すると解すべき事情は認め難い。他に右推認を妨げるに足る特段の事情は窺えない。

(3)  そこで、被告が原告理絵子の腸重積症に気付かなかつた点に、注意義務違反があるといえるか、否かについて検討するのであるが、先ず結論からいつて、被告に注意義務違反があつたといわざるを得ないというべきである。それは、次の理由による。

すでに説示したように、被告は、原告理絵子の診察に当り、腸重積症を自覚的に念頭に置いていなかつたのであるがこれもすでに認定した同原告の母である原告由利子の症状説明と腸重積症の病像に鑑みると、被告は、小児科を診療科目の一つとして掲げる医師として、当然に腸重積症をも疑い、その観点からの精査をすべきであつたというべきである。殊に、類似の症状を呈する疾病が多くみられるというのであれば、それだけ鑑別の必要性が増す筈であり、すくなくとも本症をも眼中において、浣腸による血便の有無位は検査すべきであつたというべきである。なお、原告由利子が被告に対し、原告理絵子の下痢症状をどのように説明したかは、確定し難いが、いずれにしても、浣腸は便秘を解消するためだけの手段ではなく、便の早期排泄を必要とする場合に実施されるべきであるから、下痢症状であつても、必要とする便の排泄がない以上実施されて差支えないというべきである。

被告は、さきに認定した経緯により、原告理絵子を一度だけ診察したのであるが、だからといつて本症の如き疾患につき、前叙義務が免除されるいわれはない。

(四)  そうだとすれば、被告は、右注意義務違反の所為により生じた損害を賠償すべき責任がある。

(1)  原告理絵子の被つた損害

<証拠>を総合すると、原告理絵子は、請求原因(五)で開腹後の経過として主張するとおり、極めて重篤な過程を辿つたこと、吹田市民病院における入院治療費として金一六万四五四九円を要したこと、その後、原告理絵子は、一時的に成育の遅れがみられたけれども、昭和五五年三月頃には通常の成育状態にまで回復していること、以上の事実を認めることができる。

ところで、被告は、自己の診療と原告ら主張の損害との間に因果関係がない旨の主張をする。

(イ) さきに認定したように、原告理絵子の腸重積症は、壊死の生じ易い回腸が嵌入し、同部分が更に大腸に嵌入するという二重の重積を生じていたところ、<証拠>を総合すると、原告理絵子の場合と同型の腸重積症では、血管の圧迫が強度で、血行障害を惹起する確率が高く、相対的に手術の必要性も高くなることが認められるけれども、そうかといつて右の証拠によつても、原告理絵子の腸重積症が、被告の前叙過誤の有無にかかわらず、手術をしなければならない状況にあつたとまでは断じ難い。

(ロ) また、前認定のように、吹田市民病院における手術後の原告理絵子の予後は重篤な経過を辿つたところ、証人岡田正の証言によると、右の予後不良は、術者の術前における全身管理の不行届にのみ由来するかの如くに理解される部分が存するけれども、証人門田卓士の証言に照らして容易く採用できないうえ、元来早期に診断されていたとすれば、予後の不良自体が生じない理である。従つて、被告は原告理絵子の予後不良についても責任を負うべきである。

以上の次第であるから、被告の主張は失当であつて、採用できない。

ただ、仮に被告が腸重積症と診断し、保存的方法により治療しえたとしても、それなりの費用を要した筈であるし、<証拠>によると、再発の有無や完全に還納したか否かの経過観察のため、二日間の入院が必要とされていることが認められる。従つて、前認定の吹田市民病院における入院治療費から、右の各費用を控除したものが、この関係での被告の負担すべき損害額というべきである。もつとも、これらの費用の数額を直接明らかならしめる資料はないが、<証拠>により、右の各費用の総額は金四万四五四九円を下廻ることはないというべきである。

すると、原告理絵子の入院治療費として、被告の負担に帰すべき損害は金一二万円というべきである。そして、同原告の被つた精神的苦痛に対する慰藉料額は、すでに説示の諸般の事情を考慮し、金八〇万円と定めるのが相当である。

(2)  原告良太及び同由利子の被つた損害

原告良太及び同由利子は、原告理絵子の両親であるところ、さきに認定したように手術後の原告理絵子の予後は、生死の境をさまようという極めて深刻な経過を辿つたのであつて、その間、原告良太及び同由利子が絶えず不安と心痛に悩まされたこと、更に原告理絵子の将来の育成についても危具の念を抱いたであろうことは、推測するに難くない。これを要するに原告良太及び同由利子は、原告理絵子が死亡した場合に比して著しく劣らない精神的苦痛を受けたものというべく、これを償うための慰藉料請求権を有するというべきである。そして、その慰藉料の額は、諸般の事情を考慮し、各金二〇万円と定めるのが相当である。

(3)  原告ら

原告らが本訴の提起及び追行を、原告ら代理人に委任していることは明らかであり、弁論の全趣旨によると、原告ら主張のとおり着手金を支払い且つ報酬の支払を約していることが認められる。そこで、本件事案の内容、審理経過及び認容額を斟酌し、被告に対し損害として賠償を求めうべき額は、原告理絵子につき金一〇万円、原告良太及び同由利子につき各金五万円と認めるのが相当である。<以下、省略>

(石田眞)

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